人のためになること。とは違うかもしれないけれど。
今日は、私的つぶやきです。
興味ない方は華麗にスルーしてください。
イキナリですが、離婚率。
3組に、1組と言われてるので、耐え忍んまで添い遂げるなんていうガマンまではしない世の中なのでしょうね。それに関しては、それぞれの価値観があるので、否定も肯定もするつもりもないです。
離婚の理由について。
よく「価値観のちがい」「性格の不一致」と聞くけれど、それって違うと思うんですょね。 離婚の理由って、一言では表せないくらい複雑だと思うので、ただ、総合的にそう表現してることも多いのではないかと思うんです。
だって、そもそも、生まれ育った環境なんて違うのは当然のことだし、「価値観違うの当り前」。好きだから一緒になったのに、「性格の不一致」とか途中から言い出すのも変な話じゃあないですかね。
要するに、元々相手への想いがホンモノでなかったか、想いが変わった。ってことが理由。なのですよね。きっと。
色んなことが起きるのが人生。
そんなときこそが、一番、相手への想いが試されるとき。
いいときは、誰でも心おだやかで、人に対しても寛大になれますもんね。
そうじゃないとき、何か問題が起きたとき、その人の行動が、
その人の本質だと思うんです。
すれ違ったり、こじれたり、戸惑ったり、色んな時間を二人で過ごすとき、
相手へのホントの想いが現れますよね。
真の愛情ってのは、
どんなことがあろうとも、起きた出来事よりも、
何よりも、一緒に居たいと思う気持ちが、何よりも勝っているかどうか。
パートナーと一緒に生きていくことを望んでいるかどうか。
自分の人生にとって、必要な相手と感じるかどうか。
かな、と思います。
パートナーの存在に感謝の気持ちがあるかどうか。
一緒に居られる時間を幸せに思えるかどうか。ですもんね。
価値観のちがい、性格の不一致。だなんてのは、なんだか理由をつけてるだけで、
もう、その言葉自体に愛情が感じられないんですよね。
ホントは、愛情がないこと、なくなったが、理由。じゃないのかな。と思います。
でも、愛情が無くなったから。なんてこと放つと、酷い人。冷たいヤツ。
となりそうなので、とりあえず無難に理由付けとして、そういう言葉が当てはめられてるだけのように思います。
【離婚の理由】なんて、ホントのことは、当人同士しか分からないですもん。
言い訳なんて要らないと思うんです。
そこまでしてまで、一緒に生きていきたい相手ではなかった、なくなった。から。
で、スッキリ納得して、次に進めたらそれでいいじゃないの?と思います。
どんなことがあろうとも、一緒に生きていきたいパートナーこそが、
真のパートナーとなるのでしょうね。
そんな真のパートナーと、
晴れいろの日々を。