誰かが言ってた。
「ワクチン済んだ?」って言葉が最初の挨拶みたいに交わされるのが、
--- 今の世の中。
打てなくても、打たなくても、
何もごともなく、2回接種済みの人にとっちゃ、
きっと、どちらでも 同じなのだろうと思う。
わたしが務めている職場でも、8月から順次「職域接種」の予約が始まって、
ありがたいなって。
自分自身もとりあえずは、予約のリストに入れてもらってた。
けれど、心配だったのは、
左目の疾患は新生血管があり、
さらに更年期で日々体調の変動もあり、
様子みて「今は、打てない」と思うのが正直なところ。
アレルギーがあろうが、持病があろうが、
感染後の重症化の防止ということで、ワクチン接種を勧められる。
わたしも、当然、担当の眼科医には問いました。
「コロナワクチンは受けても大丈夫でしょうか?」
「大丈夫。」軽く即答されました。
世の中、はじめてのコロナ騒動。
はじめてのワクチン。
まだ、安全性も完全に確認されておらず、副反応も比較的、重い。酷い人は救急搬送。
運 良ければ?その後 通常の生活に戻れるが、
接種後の死亡も多い。が、そのほとんどは、関連性は認められてない。
自分で調べる限りの情報 では、接種後のソレは、
強いワクチンが体に入ることによって、体がウイルスと戦っているため。
それは、理解する。そして強いソレによって血管を傷つけることがあり、
そして、脳梗塞や心筋梗塞を引き起こし…最悪の場合、命を落とすことになると。
---とすれば、私の左目の新生血管もソレに影響される可能性はゼロではないと感じる。今、頑張って治そうとしている、治癒力もともなって戦っている最中なのに、
そんな体に強い影響を与えるワクチンを体の中に入れることに、
「大丈夫。」の言葉は、どうしても、真に受けれないのが正直なところ。
たとえば、そのままの言葉を信じて、ワクチン接種したあと、
この左目が悪化しても、さらに更年期の不調な時期に、何かあったとしても、
関連性は認められない、だろうと感じる。
そう。誰も、責任はとれない。
とってくれないのだ。
自分だけ。責任は自分にある。
なので、わたしは思う。
自分で考え、自分の責任において、
自分が決めることが、大事だと。
もちろん、長い時間をかけて治験され、
安全なワクチンであれば、早く接種して少しでも安心したいと思う。
重いリスクを背負っても、抗体ができない人も確認される。
ブレイクスルー感染もあり、抗体は数か月後には減少していく。何度、ワクチンを打てばいいのだろう。
『職域接種』は、今は見送り、
一旦キャンセルしてもらいました。
自分でよく、よく、よく、考えての結果です。
打たないんじゃない。
今は、打てないんです。
接種証明書あれば、
お店や旅行でも対応が異なる流れもあり。
接種する人が「善」
接種しない人「悪」
みたいな風潮には、肩身せまく感じる。
誰も悪くないハズ。
「ワクチン打った?」って聞かれて、コノ説明をするのも言い訳がましく感じるし。
打てない自分にとっては、肩身がせまく、この言葉の挨拶は無い方がイイ。
そして、例え今後、安全なワクチンが出来るとしても、特効薬の早い開発も望みます。
コロナの収束と、
誰もが安心して過ごせる世の中になることを願って。
晴れいろの日々を。
(賛否両論あるかと思いますが、
否定的なコメントはご遠慮ください。)
---Coka.