我が家の柴犬♂15歳。 平均寿命を迎えたと喜んだのは数ヶ月前のこと。
今は、居ないことに、まだ慣れません。
一週間ほど前に、天国に旅立ちました。
なんとか、やっと文章でつづることができるようになったかも。
いぇ、まだ、心が癒えていません。
最期の一週間ほどは、昼夜問わず起きている間は高い声で鳴くことが多く、
夜中も鳴き続けいたので、家族は寝不足でヘトヘトでした。
今思えば、最期の訴えだったのかもしれません。
それでも前日まで自分の足でなんとか踏ん張り立ち、よろけながらも前へと足を出し、進もうとする姿がありました。
亡くなる2日ほど前から食欲がガタっと落ち、一気に立ち上がれなくなり、
当日は、水も飲まない状態になり、横たわったまま足をかくようにしてもがいているようでした。このときは、もう、無く元気すらなくなって見ているこちらが辛いほどでした。
その日は、家族は皆仕事で、夕方家族が揃った直後には、呼吸が止まり、そのまま亡くなってしまいました。 日中も苦しかったと思うのに、やっぱり家族の帰りを待ってたのだと思います。
23歳になる息子は、その瞬間に泣き出し、泣きながら体を撫で、汚れた体をキレイに拭いてやり、何度も撫でて…涙が止まらないようでした。
15年。共に過ごした時間は、大きな存在になってたのだと感じます。
今は、まだ慣れません。
まだ、居る。と思ってしまいます。
仕事から戻り、玄関を開けたとき、「無事かな?」「鳴いてないかな」と、
まだ一瞬は思ってしまうのです。
目が覚めたときも、お世話をする気持ちがまだ残っていて、
存在を感じるたびに、「あ。もう居ないんだ」と思い直すと言う日々。
認知症の老犬のため、頭では分かっていましたし、覚悟もしていました。
仕方のないことなのだ、その時は来るもの。と、割り切れるつもりで居たのに。
夜鳴きも酷かったり、お世話も大変だったこともあり、いつまで続くのだろう、とストレスだって感じていたのに。
居ない。と思うたびに、心がなんとも言い難い気持ちになるのです。
遺品は整理しました。目に見えるとリアルにツライので。
外にあった犬小屋も部屋の中で使用していたケージも、残ったオムツもドッグフードも。目に見えるものは、とくかく早めに。
最期に抱きしめてやれなかったことだけ、悔いが残ります。
もう、そのときはそういう状態になかったので、残念です。
お別れのときは、耳や顔、体を撫でてやり、「いっぱいありがとう」と声を掛けることが最後になりました。
もう、自分の手から離れ、形あったものが、どこか知らないところへ行ってしまうことに、無性に泣けてしょうがなかったです。
今は、存在を思うほどに辛くて仕方ないけれど、
それでも大事な家族を忘れてはなりません。
まだ時間は掛かりそうですが、
少しずつ、癒えて家族の大事な思い出となることと思います。
これからは、空から家族を見守ってくれるでしょぅ、
命ある限り、私たちは晴れいろの日々を。
---Coka.